万治の石仏を徹底解説!由来・ご利益・3周参拝とアクセス【2026年最新】
長野県下諏訪町に、巨大な胴体に小さな頭がちょこんと乗った、独特の姿を持つ石仏がある。江戸時代の1660年(万治3年)に造られたとされる「万治の石仏」だ。諏訪大社下社春宮の近く、砥川沿いの田園風景の中にたたずみ、地域の信仰を伝える文化財として親しまれている。
万治の石仏が全国的に知られるようになったきっかけは、1974年に画家の岡本太郎や作家の新田次郎がその姿に感嘆し、各地で紹介したことだった。さらに、願い事を心に念じながら石仏の周囲を時計回りに3周する独特の参拝方法も知られている。2026年に訪れる人に向けて、建立の由来、伝説、ご利益の考え方、正しいお参りの仕方、駐車場やアクセスまで詳しく整理する。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 歴史:万治の石仏は1660年(万治3年)に造られたとされ、下諏訪町指定の文化財として保護されている。
- 由来とご利益:石工が巨石にノミを入れたところ血が流れたという伝説が残る。「万事治まる」という願いを重ねて信仰されている。
- 参拝方法:正面で一礼し、願い事を念じながら時計回りに3周した後、正面に戻って一礼する。
- アクセス:諏訪大社下社春宮から徒歩約5分。車の場合は春宮の駐車場を利用するのが基本となる。
【万治の石仏とは?】1660年に造られた不思議な姿の石仏
万治の石仏(まんじのせきぶつ)は、長野県諏訪郡下諏訪町東山田にある石仏だ。諏訪大社下社春宮の近く、砥川を挟んだ田園地帯に位置し、周辺の自然や信仰の歴史と深く結び付いている。
最大の特徴は、その独特な造形にある。大きな自然石を胴体として、その上に小さな頭部が載ったような姿をしており、一般的な仏像のイメージとは異なる存在感を放つ。諏訪観光連盟の観光案内では、安山岩で造られた石仏として紹介され、高さ約2.6メートル、幅約3.8メートル、奥行き約3.7メートルという大きさが示されている。
遠くから見ると、巨大な岩に顔が付いているようにも見える。その素朴でユーモラスな姿が印象に残る一方、正面から向き合うと、自然石の力強さと長い年月を経た信仰の重みも感じられる。
この石仏は、下諏訪町が所有する町指定文化財だ。下諏訪町の文化財解説によると、1982年(昭和57年)3月26日に指定された。地域では「あみだ様」と呼ばれ、長く信仰されてきた歴史もある。
現在の名称である「万治の石仏」は、胴部に刻まれた万治3年という年号に由来する。万治3年は西暦1660年に当たり、江戸時代前期の信仰や石造文化を知る手掛かりとなっている。

【建立の由来と伝説】石工が鳥居の造作を中止した理由とは
万治の石仏には、諏訪大社下社春宮の大鳥居にまつわる伝説が伝えられている。石仏の成り立ちを理解するうえで欠かせない話だが、伝承として語られている部分と、年代や文化財に関する記録は分けて捉えたい。
石から血が流れたという伝説
諏訪観光連盟の紹介によると、諏訪高島藩主の諏訪忠晴が春宮に石の大鳥居を奉納しようとした際、石工が現地の大きな石を材料に使おうとしたという。
ところが、その石にノミを打ち入れたところ、傷口から血が流れ出したと伝えられている。驚き、恐れた石工は鳥居の造作を中止。石の不思議な力を感じ、代わりに阿弥陀如来を刻んで祀ったことが、万治の石仏の建立につながったとされる。
伝承によっては、石工の夢枕に良質な石材の場所が現れ、別の石を使って鳥居を完成させたという話も加わる。こうした物語は、石そのものへの畏敬や、自然物に神聖さを見いだす地域の信仰を伝えている。
ただし、石から血が流れたという出来事は伝説であり、歴史的な事実として実証されたものではない。万治の石仏の魅力は、伝説の不思議さだけでなく、地域で語り継がれてきた信仰と、現存する石仏を結び付けて理解できる点にもある。
建立伝承の年代には違いがある
建立にまつわる伝承の年代にも、資料による違いがある。諏訪観光連盟の紹介では明暦3年(1657年)の出来事として説明される一方、下諏訪町の文化財解説では万治2年(1659年)に鳥居を寄進した際の話として記されている。
一方、石仏の名称の由来となった万治3年(1660年)という年号は、各種の観光案内や文化財解説で共通して紹介されている。鳥居にまつわる物語の細部には異なる伝承があるものの、1660年という年号が石仏を理解するうえで重要な基準になっている。
万治の石仏にまつわる歴史年表
| 年代 | 出来事・記録 | 確認しておきたいポイント |
|---|---|---|
| 1657年(明暦3年) | 鳥居建立にまつわる伝承の年代として紹介される | 諏訪観光連盟の説明に基づく |
| 1659年(万治2年) | 春宮の大鳥居を寄進した際の伝承 | 下諏訪町の文化財解説に記載がある |
| 1660年(万治3年) | 石仏の建立年代として伝えられる | 石仏の名称の由来となった年号 |
| 1974年(昭和49年) | 岡本太郎や新田次郎が石仏を紹介 | 全国的な知名度が高まるきっかけとなった |
| 1982年(昭和57年)3月26日 | 下諏訪町の文化財に指定 | 町指定文化財として保護されている |
| 2026年 | 観光・参拝スポットとして案内が続く | アクセスは春宮駐車場を利用する方法が基本 |
なお、下諏訪町の文化財解説には、万治の石仏が過去の記録で「えぼし石」と呼ばれていたことや、1805年の記録に「みたらしの石仏」と記されていたことも紹介されている。現在の名前だけでなく、時代によって異なる呼び名があった点も、この石仏の歴史を読み解く手掛かりだ。
【ご利益の真相】願いが叶うといわれる理由は「万事治まる」
万治の石仏は、願い事をする場所としても知られている。特に結び付けられているのが、「万事が治まる」という意味合いだ。
「万治」は本来、江戸時代の元号である。一方で、「万事治まる」という言葉を重ね合わせれば、物事が穏やかに収まり、願い事が成就するようにという思いを込められる。こうした言葉の響きが、石仏を訪れる人々の信仰や願掛けと結び付いてきた。
どのようなご利益があるとされるのか
万治の石仏のご利益は、特定の願いだけに限定されるものではない。一般には、物事が円満に治まることや、心に抱く願いの成就を願って参拝する場所として紹介されている。
- 願い事の成就:自分がかなえたい願いを心の中で念じる。
- 物事が円満に治まること:人間関係や日常生活など、物事が穏やかに進むよう祈る。
- 気持ちの整理:参拝を通して、自分の願いや目標を改めて見つめ直す。
ただし、これらは信仰や言い伝えに基づくものであり、参拝すれば願いが必ず実現するという科学的な保証があるわけではない。病気の治療、金銭的な問題、仕事や人間関係の解決などについても、石仏への参拝だけで結果が決まるわけではない。
大切なのは、ご利益を断定的に受け取るのではなく、長い間地域で大切にされてきた信仰に敬意を払いながら、自分の願いを静かに見つめる機会として参拝することだ。
「万治」という名前に込められた意味
「万治」は、石仏に刻まれた年号に由来する。一方、「万事治まる」という解釈は、名称の響きに重ねられた縁起のよい意味合いだ。元号としての由来と、願掛けにおける言葉の解釈を区別すると、石仏への信仰をより正確に理解できる。
また、石仏の周囲を3周する参拝方法も、願い事を心の中で繰り返し念じる行為と結び付いている。単に決められた回数を歩くのではなく、自分が何を願っているのかを意識しながら巡ることに意味がある。

【お参りの仕方】万治の石仏を3周する参拝方法を解説
万治の石仏で広く案内されているのが、石仏の周囲を時計回りに3周する独特の参拝方法だ。下諏訪の公式観光情報でも紹介されており、現地で初めて参拝する人は、次の3つの手順を目安にするとよい。
手順1:正面で一礼し、願いを心に念じる
まず、万治の石仏の正面に立ち、一礼する。続いて手を合わせ、「よろずおさまりますように」と心の中で念じる。
この言葉には、あらゆる物事が穏やかに治まるようにという願いが込められている。周囲の状況を確認し、ほかの参拝者の通行を妨げない位置で行おう。
手順2:願い事を唱えながら時計回りに3周する
次に、石仏の周囲を時計回りに3周する。歩きながら、自分の願い事を心の中で念じるのが基本だ。
3周する際は、急いで回数をこなす必要はない。足元や周囲の人に注意し、石仏を傷つけたり、立入禁止の場所に入ったりしないように気を付けたい。石仏の周囲は舗装されていないため、雨天時や雨上がりは特に慎重に歩く必要がある。
手順3:正面に戻り、一礼して参拝を終える
3周したら正面に戻り、「よろずおさめました」と心の中で唱え、一礼する。これで、一般に紹介されている参拝の手順は終了だ。
参拝方法を整理すると、次のようになる。
- 正面で一礼し、「よろずおさまりますように」と念じる。
- 願い事を心の中で唱えながら、時計回りに3周する。
- 正面に戻り、「よろずおさめました」と唱えて一礼する。
この方法は、下諏訪の観光案内で紹介されている地域の参拝習慣だ。すべての仏像や寺院で共通する作法ではないため、ほかの場所の参拝方法と混同しないようにしたい。
また、万治の石仏は諏訪大社下社春宮とゆかりのある場所にある。下諏訪の観光案内でも春宮への参拝が勧められているため、両方を訪れる場合は、神社の境内での作法と石仏の周囲を巡る習慣をそれぞれ尊重するとよい。
【場所・アクセス・駐車場】諏訪大社下社春宮から徒歩約5分
万治の石仏は、長野県諏訪郡下諏訪町東山田に位置する。諏訪大社下社春宮のすぐ近くにあり、春宮の参拝と組み合わせて訪れやすい観光スポットだ。
電車でのアクセス
最寄り駅はJR中央本線の下諏訪駅。駅からは徒歩でおよそ20〜25分が目安となる。駅から直接向かうこともできるが、下諏訪の町並みを散策しながら春宮を経由するルートも利用しやすい。
諏訪観光連盟や長野県の観光案内では、春宮から万治の石仏まで徒歩約5分と紹介されている。春宮の境内から浮島社を経由し、砥川を渡って石仏へ向かうルートが基本だ。
車でのアクセス
長野自動車道の岡谷ICからは車で約15分、中央自動車道の諏訪ICからは約25分が目安となる。道路状況や時間帯によって所要時間は変わるため、余裕を持った計画がおすすめだ。
駐車場は諏訪大社下社春宮の駐車場を利用
万治の石仏のすぐそばには専用駐車場がないため、基本的には諏訪大社下社春宮の駐車場を利用する。下諏訪の観光案内では無料駐車場が約50台分あると紹介されているが、利用可能台数には限りがある。
週末や祝日、観光シーズンは混雑する可能性がある。満車の場合は、現地の案内に従って利用可能な周辺駐車場を検討しよう。駐車場の場所や利用条件は、訪問当日の案内を優先したい。
訪問前に知っておきたい注意点
- 足元:石仏の周囲は舗装されていないため、歩きやすい靴がおすすめ。雨天時や雨上がりは滑りやすくなる。
- トイレ:春宮の駐車場付近にある公衆トイレを利用してから向かうと安心。
- 車いす:観光案内では車いすでの参拝も可能とされているが、周囲が未舗装のため、路面状況によって移動しにくい場合がある。
- 駐車:石仏の近くまで車で乗り入れることはできない。春宮の駐車場から歩いて向かう計画を立てよう。
2026年10月時点で公開されている観光案内でも、春宮駐車場を利用して徒歩で向かう方法が基本として紹介されている。参拝のための予約や特別な手続きが必要かどうかなど、当日の運用に関わる情報は、出発前に下諏訪町や観光協会の最新案内を確認しておきたい。

【岡本太郎が全国に紹介】1974年に注目を集めた理由
万治の石仏が地域の人々に知られる存在から、全国的な観光名所へと広がるきっかけとなったのが、1974年の出来事だ。
諏訪観光連盟の歴史紹介によると、この年、諏訪大社の御柱祭を見学するために訪れた画家の岡本太郎と作家の新田次郎が万治の石仏を見て感嘆した。その後、講演や雑誌などを通じて紹介されたことで、石仏の存在が広く知られるようになった。
岡本太郎が注目した独特の造形
岡本太郎は、既存の美術表現にとらわれない独創的な作品で知られる芸術家だ。万治の石仏も、整った左右対称の仏像とは異なる、自然石を生かした独特の姿を持っている。
大きな胴体と小さな頭部の組み合わせは、見る人によってユーモラスにも神秘的にも映る。自然石の形を大きく残した造形そのものが、石仏の強い個性につながっている。
ただし、岡本太郎が紹介したことは、石仏の歴史が始まった時期とは別の話だ。石仏は江戸時代に建立されたとされ、1974年は全国的な知名度が高まった転機に当たる。
文化財としての価値と観光名所としての魅力
万治の石仏は、見た目の珍しさだけで評価されているわけではない。1660年という年号、鳥居建立にまつわる伝説、地域で受け継がれてきた信仰、そして現代の芸術家や作家による紹介という、複数の歴史的な層を持つ。
また、下諏訪町の文化財解説には、古い記録に残る名称や地域での呼び名も記載されている。こうした資料をたどると、万治の石仏が一時的な話題の観光スポットではなく、長い時間をかけて地域に根付いてきた存在であることがわかる。
訪問時には、石仏の姿を写真に収めるだけでなく、春宮や砥川周辺の風景にも目を向けたい。伝説と現存する文化財、そして地域の自然を合わせて見ることで、万治の石仏の魅力をより深く感じられるはずだ。
【プロの結論】2026年に訪れるなら歴史・信仰・現地体験をセットで楽しむ
万治の石仏を訪れる際に押さえておきたいのは、伝説、文化財としての事実、そして現在の参拝習慣を混同しないことだ。
石工がノミを入れたところから血が流れたという話は、石仏の建立にまつわる伝承である。一方、1660年という年号や1982年の文化財指定は、文化財解説で確認できる歴史上の情報だ。岡本太郎らによる紹介は、石仏が全国的に知られるようになった経緯を説明している。
こうした情報を組み合わせて理解すると、万治の石仏は「願いが叶うといわれる不思議な石」だけではなく、江戸時代の信仰、地域に残る伝説、現代の文化的な評価が重なり合う場所として見えてくる。
訪問前に確認したい判断基準
- 歴史や伝説に興味がある人:建立伝承と1660年の年号を手掛かりに、地域の歴史をたどりながら参拝するのがおすすめ。
- 願掛けをしたい人:3周する参拝方法を事前に把握し、自分の願いを落ち着いて心に念じるとよい。
- 諏訪観光を楽しみたい人:諏訪大社下社春宮と組み合わせて訪れると、徒歩で巡りやすい。
- 足元に不安がある人:周囲は未舗装のため、天候や路面状況を確認し、必要に応じて同行者と相談しておきたい。
反対に、参拝によって特定の結果が必ず得られることを期待する人や、足元の状態にかかわらず短時間で移動したい人は、現地の環境や信仰の性質を理解したうえで訪問を検討したい。
2026年に訪れる場合も、春宮から歩いて石仏へ向かう基本ルートと、周囲を時計回りに3周する参拝方法を押さえておけば、初めてでも落ち着いて参拝しやすい。歴史の背景を知ってから現地に立つことで、独特の姿を眺めるだけでは気付きにくい魅力にも触れられるだろう。
【万治の石仏】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:万治の石仏はいつ造られたのですか?
A1:万治3年に当たる1660年に造られたとされています。名称も、この年号に由来します。鳥居建立にまつわる伝承の年代については、資料によって1657年と1659年の違いがあります。
Q2:万治の石仏のお参りは必ず3周しなければいけませんか?
A2:時計回りに3周する方法は、下諏訪の観光案内で紹介されている参拝習慣です。一般的な仏教寺院すべてに共通する決まりではありません。現地の案内や周囲の参拝者に配慮しながら、落ち着いて参拝しましょう。
Q3:万治の石仏のご利益は何ですか?
A3:「万事治まる」という言葉にちなみ、物事が円満に治まることや願い事の成就を願う場所として知られています。ただし、願いが必ず叶うことを保証するものではなく、信仰や言い伝えに基づくご利益です。
Q4:万治の石仏へ行くにはどこに駐車すればよいですか?
A4:諏訪大社下社春宮の駐車場を利用するのが基本です。石仏のすぐそばに専用駐車場はなく、駐車場から徒歩約5分で到着します。駐車可能台数には限りがあるため、混雑する時期は時間に余裕を持って出発しましょう。
Q5:岡本太郎は万治の石仏をいつ紹介したのですか?
A5:1974年に諏訪大社の御柱祭を見学した際に石仏と対面し、作家の新田次郎らとともにその魅力を紹介したことが、全国的に知られるきっかけになったと諏訪観光連盟は説明しています。
まとめ:万治の石仏は伝説と歴史を体感できる下諏訪の文化財
万治の石仏は、長野県下諏訪町に残る江戸時代前期の石仏で、1660年という年号、鳥居建立にまつわる伝説、そして岡本太郎らによる全国的な紹介によって知られるようになった。
願い事をしながら時計回りに3周する参拝方法や、「万事治まる」という縁起のよい解釈も、この場所の特徴だ。一方で、ご利益は信仰や言い伝えに基づくものであり、必ず願いが叶うと断定できるものではない。
アクセスは諏訪大社下社春宮を起点にするとわかりやすく、駐車場も春宮のものを利用するのが基本となる。2026年の参拝では、足元の状況や駐車場の混雑に気を配りながら、春宮と万治の石仏を合わせて巡る計画を立てたい。
独特の姿だけでなく、古い伝承や地域の信仰、文化財としての歴史を知ってから訪れること。それが、万治の石仏をより深く味わうための一番の手掛かりとなる。 (出典: 万 治 の 石仏(Yahoo!ニュース))