デヴィ夫人の両親はどんな人物?父親・根本兵七郎と母親・政子の職業やハーフ説の真相を徹底解剖
国際的なセレブリティとしてだけでなく、近年も歯に衣着せぬ鋭いコメントと圧倒的なバイタリティで幅広い世代を魅了し続けるデヴィ夫人。その華麗でダイナミックな半生は広く知られていますが、ネット上やファンの間では「デヴィ夫人の両親はどんな人物だったのか」「あの日本人離れした美貌はハーフやクォーターだからではないか」といったルーツにまつわる関心が絶えません。
本名「根本七保子(ねもと なおこ)」として東京で生まれ育ち、後にインドネシアのスカルノ初代大統領の第3夫人となった彼女の背後には、戦前・戦後の激動期を懸命に生き抜いた両親と家族の物語が存在します。ドキュメンタリー番組『ファミリーヒストリー』(NHK)などで明かされた一次証言や記録をもとに、父・根本兵七郎氏、母・政子さんの人物像、ネット上で囁かれるハーフ説の客観的真相、そして知られざる家系図の実態を詳しく解き明かします。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:デヴィ夫人の両親は父・根本兵七郎氏(大工の棟梁)、母・政子さんで、父母ともに日本人であり「ハーフ説・クォーター説」は完全な誤り。
- 要点2:戦前・戦後の麻布で育った生い立ちは決して平坦ではなく、病気がちだった父の療養や戦火による困窮のなかで、家族を支える強い責任感が培われた。
- 要点3:スカルノ大統領との結婚に伴う激しい世間のバッシングと母・弟の相次ぐ悲劇を乗り越え、現在は娘のカリナさんや孫のキラン氏へと血脈が受け継がれている。
【人物像】父親・根本兵七郎と母親・政子の職業と実態
デヴィ夫人(本名:根本七保子)の父親は根本兵七郎(へいしちろう)氏、母親は根本政子(まさこ)さんです。華やかな社交界の頂点に君臨してきたイメージから「名家や旧華族の出身ではないか」と想像されることも少なくありませんが、実際の家庭環境は下町の職人気質あふれる一般的な庶民家庭でした。
父親の兵七郎氏は、腕の立つ大工の棟梁として知られていました。戦前の東京・港区西麻布(旧麻布霞町)界隈で仕事を手がけ、厳格でありながら手先の器用な職人でした。しかし、兵七郎氏は大工仕事の最中に目に大怪我を負って視力を著しく損ねてしまい、さらに結核などの持病を患ったことで、晩年は以前のように現場で稼ぐことが困難になっていきました。
一方、母親の政子さんは、病弱な夫と幼い子どもたちを支えるため、内職や懸命な家計のやりくりに追われていました。足が不自由であったとも伝えられていますが、控えめで辛抱強く、どんなに生活が苦しくても子どもたちへの愛情を注ぎ続けた女性でした。こうした両親の姿を間近で見て育ったことが、少女時代の七保子さんに「早く自分が自立して家族を楽にさせたい」という並外れた向上心とハングリー精神を植え付ける原動力となったのです。

【検証】デヴィ夫人のハーフ説・クォーター説の真相と本名
若き日のデヴィ夫人の写真や映像を見ると、彫りの深い立体的な顔立ち、くっきりとした大きな二重まぶた、完璧な鼻筋など、まるで西洋の映画女優のような美貌を誇っています。このことから、インターネット上では現在も「父親か母親が外国人だったのではないか」「祖父母に外国人がいるクォーターではないか」という噂が後を絶ちません。
結論から申し上げますと、デヴィ夫人は両親ともに純粋な日本人であり、ハーフ説やクォーター説は事実無根のデマです。戸籍上の本名も根本七保子であり、代々の家系を遡っても外国籍のルーツは存在しません。
この誤解が生まれた要因としては、以下の3点が挙げられます。
第一に、2018年に放送された『ファミリーヒストリー』(NHK)で公開された貴重な家族写真において、父・兵七郎氏も母・政子さんも非常に目鼻立ちがはっきりとした端正な顔立ちをしていたことです。特に父親は彫りが深く精悍な容貌をしており、デヴィ夫人のエキゾチックな美貌は両親双方の優れた遺伝的特徴を色濃く受け継いだ結果であることが裏付けられています。
第二に、1959年に19歳でインドネシアに渡り、後にスカルノ大統領と正式に結婚した際、大統領から「ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ(Ratna Sari Dewi Sukarno)」という神聖なインドネシア名(宝石の精を意味する名前)を授かり、インドネシア国籍を取得した歴史的背景があります。「名前にカタカナが含まれ、外国籍を取得した元大統領夫人」という強烈なパブリックイメージが、血統までもが外国人であるかのような先入観を生み出しました。
第三に、若い頃から身につけた流暢な英語力やフランス語力、そして西洋社交界で洗練された堂々たる立ち振る舞いが、日本古来の奥ゆかしさとは一線を画していた点も、ハーフ説を後押しする要因となりました。
【家系図・年表】根本家のルーツとデヴィ夫人の激動史
根本家の生い立ちから、スカルノ大統領との劇的な出会い、そして現在に至るまでの変遷を一目で把握できるよう、客観的な記録と報道資料に基づいた年表をまとめました。
| 年代・時期 | 根本家およびデヴィ夫人の主な出来事 | 家族・生い立ちの背景と詳細 |
|---|---|---|
| 1940年(昭和15年) | 根本七保子(デヴィ夫人)誕生 | 東京府東京市麻布区(現:東京都港区西麻布)にて、大工の父・兵七郎と母・政子の長女として誕生。 |
| 1942年(昭和17年) | 弟・八曾男(やそお)さん誕生 | 2歳下の弟が誕生。戦時下の激しい空襲を避けるため、母方の実家などへ疎開を経験。 |
| 1945年〜1950年代前半 | 戦後の困窮と父・兵七郎氏の病気 | 父が目を負傷し持病も悪化。生活困窮のなか、七保子は定時制高校に通いながら千代田生命保険などで働いて家計を支える。 |
| 1956年(昭和31年) | 父・根本兵七郎氏の逝去 | 一家の大黒柱であった父が病没。七保子は一家を支えるため本格的に働き、高級クラブ「コパカバーナ」などで働くようになる。 |
| 1959年(昭和34年) | スカルノ大統領との出会い・来尼 | 訪日中だったインドネシアのスカルノ大統領に見初められ、19歳でジャカルタへ渡る。 |
| 1962年(昭和37年) | 正式結婚と母・弟の相次ぐ悲劇 | スカルノ大統領の第3夫人となる一方、日本国内の過熱報道と中傷により母・政子さんが他界。そのわずか2日後、早稲田大学在学中だった弟・八曾男さんも自ら命を絶つ。 |
| 1967年(昭和42年) | 長女・カリナさん誕生・クーデター | 9・30運動による政変の最中、亡命先の東京で長女カルティカ(愛称カリナ)を出産。その後パリへ亡命。 |
| 2000年代〜現在 | 日本でのタレント活動と次世代の活躍 | 日本を拠点に本格的な活動を展開。娘・カリナさんは国連関連機関等で活躍し、孫のキラン氏も国際的に成長。 |

【光と影】結婚前夜の家族バッシングと弟・八曾男の悲劇
デヴィ夫人の人生において、最も深い悲痛と試練の時期として語られるのが、スカルノ大統領との結婚前後に巻き起こった激しい社会的バッシングと、それに伴う最愛の家族の喪失です。
高校を中退し、語学や立ち振る舞いを独学で磨きながら赤坂の有名高級クラブで働いていた七保子さんは、1959年、来日していたスカルノ大統領と運命的な対面を果たします。大統領の熱烈な求愛を受け、単身ジャカルタへ渡ることになりましたが、当時の日本社会や一部マスコミはこれを快く受け止めませんでした。冷戦期の国際情勢や戦後賠償ビジネスの利権疑惑と絡められ、「売国」「身売り」といった心ない中傷や偏見の嵐が、東京に残された母親と弟の元に容赦なく押し寄せたのです。
当時、弟の根本八曾男(やそお)さんは、姉の経済的支援もあって難関の早稲田大学に進学した極めて優秀な青年でした。しかし、周囲からの冷ややかな視線や嫌がらせ、姉の結婚に対する世間の過熱報道によって精神的に追い詰められていきました。
悲劇は1962年、デヴィ夫人が正式に大統領夫人となる手続きが進んでいた最中に起きます。心労が重なっていた母・政子さんが急激に体調を悪化させ、都内の病院で急逝。さらにそのわずか2日後、母親の死のショックと将来への苦悩に耐えかねた弟・八曾男さんが、自宅のアパートでガス自殺を図り、若くして命を絶ってしまったのです。
愛する家族を楽にさせたい一心で異国の地へ渡ったデヴィ夫人にとって、母と弟を同時に失った報せは想像を絶する絶望でした。後にデヴィ夫人は自伝やインタビューで「この悲しみと後悔は一生消えることがない」「私が家族を殺してしまったのではないかと自責の念に苛まれた」と語っています。この壮絶な痛恨の極みがあったからこそ、彼女はいかなる困難やクーデターの危機にも屈しない強靭な精神力を宿すことになったと言えます。
【次世代の現在】娘・カリナと孫・キランへ受け継がれる血脈
激動の波乱を乗り越えたデヴィ夫人の家系は、娘、そして孫へと受け継がれています。スカルノ大統領との間に生まれた一人娘が、カルティカ・サリ・デヴィ・スカルノ(愛称:カリナ)さんです。
1967年、インドネシア国内で起きた軍事クーデター(9・30運動)の混乱下、身重だったデヴィ夫人は一時帰国した東京の病院でカリナさんを出産しました。その後、スカルノ大統領が失脚・軟禁されたため、デヴィ夫人は幼いカリナさんを連れてフランス・パリへと亡命生活を送ることになります。
ヨーロッパの社交界で美しく聡明に育ったカリナさんは、アメリカやヨーロッパで高等教育を受け、ジャーナリストやテレビキャスターとして活躍。2005年には、オランダの大手金融機関の要職を務めるオランダ人男性(フリッツ・フォン・ゼーゲバーデン・ジーバース氏)と結婚しました。現在は自身の設立した財団を通じて、母国インドネシアの恵まれない子どもたちの教育支援や医療支援活動に尽力しています。
そして、カリナさんの長男であり、デヴィ夫人にとって唯一の孫にあたるのがキラン(Kiran)氏です。幼少期から「超美形の貴公子」として日本のテレビ番組でも紹介され大きな話題を呼びましたが、成長した現在もイギリスやオランダなど国際的な環境で学び、多言語を操る知性派の青年として注目されています。かつて麻布の大工の家から始まった血統は、国際的な視野と高い教養を兼ね備えた次世代へと見事に結実しています。

【デヴィ夫人両親】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:デヴィ夫人の両親の国籍は?外国人の血は入っていますか?
A1:父親の根本兵七郎氏、母親の根本政子さんともに日本国籍の純粋な日本人です。外国人の血筋は入っておらず、ハーフやクォーターという噂は事実ではありません。デヴィ夫人自身も生まれながらの日本人であり、スカルノ大統領との婚姻に伴いインドネシア国籍を取得しました。
Q2:父親と母親の職業は何でしたか?お金持ちの家庭だったのですか?
A2:父親は東京・麻布で腕を振るっていた大工の棟梁、母親は専業主婦で内職などを行いながら家計を支えていました。決して富裕層ではなく、父親が仕事中の事故で目を負傷し持病を抱えてからは、家計は非常に困窮していました。
Q3:デヴィ夫人の弟はなぜ亡くなったのですか?
A3:早稲田大学に在学していた弟の八曾男さんは、姉のスカルノ大統領との結婚に伴う過熱報道や世間からの心ないバッシング、さらに心労で倒れた母親の急死に直面し、精神的に追い詰められた結果、20代前半の若さで自ら命を絶ちました。
まとめ:波乱万丈の原点にある家族への愛と誇り
デヴィ夫人の両親である根本兵七郎氏と政子さんは、戦前戦後の激動期において、決して裕福とは言えない環境のなかで職人の誇りと家族の絆を大切に守り抜いた人々でした。ネット上で囁かれるハーフ説や名家出身説は、デヴィ夫人の類まれな美貌と現在のセレブリティとしての風格が生み出した幻想に過ぎず、その実態は質素で逞しい日本の庶民の物語です。
父親の病気による生活苦、一家を支えるための若き日の奮闘、そして母と弟を失った筆舌に尽くしがたい悲劇。デヴィ夫人が現在見せる何事にも動じない圧倒的な強さと気高さは、恵まれた出自から生まれたものではなく、過酷な逆境と家族への深い思慕を抱きながら自らの意志で道を切り拓いてきた証拠と言えます。その激動の軌跡を知ることで、彼女が放つ言葉の重みと存在感の理由がより一層鮮明に理解できるのではないでしょうか。