目黒競馬場はなぜ消えた?日本ダービー発祥の地が府中に移転した真相と跡地の全貌

目次
目黒競馬場はなぜ消えた?日本ダービー発祥の地が府中に移転した真相と跡地の全貌
目黒競馬場はなぜ消えた?日本ダービー発祥の地が府中に移転した真相と跡地の全貌
@ creator • Click to Play Video Inline
🎵 目黒競馬場はなぜ消えた?日本ダービー発祥の地が府中に移転した真相と跡地の全貌

東京都目黒区の洗練された街並みを貫く目黒通りを走る東急バスに乗ると、ふと現れる「元競馬場前」という名の停留所。2026年現在の穏やかな住宅街・商業エリアからは想像もつきませんが、かつてこの地には1周1マイル(約1,600メートル)を誇る巨大な「目黒競馬場」が存在し、日本の競馬史を語る上で欠かせない数々の伝説が刻まれました。

日本最高峰の栄誉である「第1回日本ダービー(東京優駿大競走)」が産声を上げたのも、まさにこの目黒の地でした。しかし、栄華を極めたはずの巨大競馬場は、なぜわずか四半世紀あまりでその姿を消し、現在の府中市(東京競馬場)へと移転することになったのでしょうか。本稿では、競馬場開設から府中移転に至る歴史の深層、そして現在の下目黒に残る驚くべき痕跡の数々を客観的記録とともに徹底解剖します。

📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
  • 要点1:目黒競馬場は1907年(明治40年)に開設され、1932年(昭和7年)には「第1回日本ダービー」が開催された日本競馬の歴史的聖地。
  • 要点2:急速な都市化による周辺地価の高騰、借地料問題、スタンドの収容限界と施設の狭隘化が重なり、1933年に府中市(現在の東京競馬場)へ移転・閉鎖された。
  • 要点3:現在の下目黒エリアには「元競馬場前」バス停、元競馬場通り、住宅街をなだらかに曲がるコース跡の道路、名種牡馬「トウルヌソル像」など往時を偲ぶ遺構が今も色濃く残る。

【歴史の幕開け】1907年開設から東京競馬倶楽部への歩み

目黒競馬場の歩みは、1907年(明治40年)に始まります。当時の「日本競馬会」(1936年に設立された同名の日本競馬会とは異なる組織)によって開設され、現在の東京都目黒区下目黒一帯に1周1マイルの大規模コースが誕生しました。

立地は、国鉄(現・JR)山手線の目黒駅、目黒蒲田電鉄(現・東急目黒線)の不動前駅、そして東京横浜電鉄(現・東急東横線)の祐天寺駅の3駅からほぼ等距離(1km余り)に位置し、当時の東京近郊における一大娯楽拠点として注目を集めました。その後、1910年(明治43年)に経営母体は東京競馬倶楽部へと移管され、日本の競馬文化を牽引する中核施設として整備されていきました。

スタンドは目黒通りを背にする形で配置され、目黒通りを挟んだ向かい側には厩舎群が立ち並ぶという、現代の感覚からすると街と競馬場が密接に溶け合った独自の構造を持っていました。

目黒競馬場はなぜ消えた?日本ダービー発祥の地が府中に移転した真相と跡地の全貌
【検証資料 1】目黒競馬場はなぜ消えた?日本ダービー発祥の地が府中に移転した真相と跡地の全貌(出典:pbs.twimg.com)

【栄光の頂点】第1回日本ダービー(東京優駿大競走)が開催された日

目黒競馬場の名を日本スポーツ史に永遠に刻み込むことになった決定的な出来事が、1932年(昭和7年)4月24日に行われた「第1回東京優駿大競走(現在の日本ダービー)」です。

イギリスのクラシック競走「ダービー」に範をとり、3歳(現2歳)サラブレッドの頂点を決める国内最高峰の競走として創設されたこの一戦は、当時の日本社会に絶大な熱気をもたらしました。第1回の栄冠を手にしたのは、名手・函館孫作騎手が手綱を取ったワカタカ(公認レース初代覇者)でした。

満員の観衆がスタンドを埋め尽くし、熱狂の渦に包まれた目黒競馬場でしたが、この熱狂こそが同時に施設の構造的限界を露呈させる引き金ともなっていきました。

【消えた理由】なぜ目黒競馬場は府中(東京競馬場)へ移転したのか

日本の競馬史において最大の熱狂を生み出しながら、第1回ダービーの翌年である1933年(昭和8年)、目黒競馬場は惜しまれつつその幕を下ろしました。移転先となったのが、現在の東京都府中市に広がる東京競馬場です。なぜ、これほど人気を博した競馬場が移転を余儀なくされたのでしょうか。その背景には、東京の近代化に伴う避けられない3つの構造的要因がありました。

第1の要因は、「急速な都市化と敷地の狭隘化」です。目黒競馬場が開設された明治末期、周辺はまだ一面の農村風景が広がっていました。しかし、大正から昭和初期にかけて東急各線が開通し、東京の市街地が急速に郊外へ拡大。周囲が新興住宅地として開発されたことで、競馬場を拡張する余地が完全に失われました。

第2の要因は、「借地契約と経済的コスト」です。目黒競馬場の敷地の大半は地主からの借地で成り立っていました。都市化に伴って周辺地価が急騰し、それに連動して莫大な借地料の支払いが競馬倶楽部の財政を圧迫するようになります。自己所有の広大な用地を確保することが喫緊の課題となったのです。

第3の要因は、「観客収容能力の限界とインフラ負荷」です。第1回日本ダービーの成功が象徴するように競馬人気は爆発的に高まりましたが、目黒の敷地規模では増大する観衆や馬匹を安全に収容しきれなくなっていました。こうして東京競馬倶楽部は、より広大で自前の用地を確保できる東京府北多摩郡府中町(現・府中市)への全面移転を決断したのです。

年号・時期主な出来事歴史的意義・当時の背景
1907年(明治40年)目黒競馬場の開設当時の日本競馬会により開設。1周1マイルの馬場を整備
1910年(明治43年)東京競馬倶楽部へ移管運営体制が刷新され、近代競馬の中心的拠点として発展
1932年(昭和7年)4月第1回東京優駿大競走の開催初代日本ダービー馬ワカタカが誕生。競馬熱が最高潮に達する
1933年(昭和8年)目黒競馬場の閉鎖・府中移転都市化や借地料高騰、狭隘化を受け、現在の東京競馬場(府中市)へ移転
1936年(昭和11年)新「日本競馬会」の発足全国の競馬倶楽部が統合され、国の管理下での競馬再編が進む
2026年現在下目黒の住宅街に痕跡が残存「元競馬場前」バス停、元競馬場通り、トウルヌソル像が歴史を伝える
目黒競馬場はなぜ消えた?日本ダービー発祥の地が府中に移転した真相と跡地の全貌
【検証資料 2】目黒競馬場はなぜ消えた?日本ダービー発祥の地が府中に移転した真相と跡地の全貌(出典:advertimes.com)

【現在の下目黒】住宅街に眠る目黒競馬場の痕跡と見どころ

競馬場が府中に移転してから90年以上が経過した2026年現在、跡地は学校や閑静な住宅街へと姿を変えています。しかし、注意深く街を歩くと、かつてここに馬場が存在したことを物語る確固たる証拠が随所に見つかります。

1. 「元競馬場前」バス停と元競馬場通り
目黒駅と三軒茶屋や二子玉川などを結ぶ目黒通り沿いには、今も「元競馬場前」というバス停が堂々と存続しています。周辺の商店街や通りにも「元競馬場通り」の名が冠されており、地域住民の日常的な地名として歴史が息づいています。

2. 航空写真や地図で分かる「カーブを描く道路(コース跡)」
目黒区下目黒四丁目周辺の住宅街の地図を俯瞰すると、整然とした碁盤の目ではなく、不自然に緩やかな弧を描く道路が確認できます。これは競馬場のコーナー(外周カーブ)の敷地境界がそのまま道路に転用されたものであり、かつての馬場形状を今に伝える最もダイレクトな土木遺構といえます。

3. 大名種牡馬「トウルヌソル像」と記念碑
元競馬場通りの一角には、第1回日本ダービー馬ワカタカの父であり、戦前の日本競馬を支えた大名種牡馬「トウルヌソル」の銅像が建立されています。傍らには目黒競馬場跡を記す記念碑が設置されており、ここが日本の近代競馬の原点であることを訪れる人々に静かに伝えています。

【プロの結論】都市の記憶を歩く歴史散歩の視点

かつて目黒競馬場が存在したという事実は、単なる競馬の昔話にとどまらず、東京というメガロポリスがどのように郊外を飲み込み、発展してきたかを示す都市形成史そのものです。

不動前駅や祐天寺駅から歩き、かむろ坂や羅漢寺川プロムナードを経由して下目黒の緩やかなカーブ道を辿る散策は、地形と歴史が交差する東京ならではの奥深い魅力を持っています。普段何気なく通り過ぎているバス停の名前や曲がりくねった路地に、100年前の人々の歓声と馬蹄の響きが封じ込められていることに気づくとき、日常の街並みは全く異なる解像度で迫ってきます。

目黒競馬場はなぜ消えた?日本ダービー発祥の地が府中に移転した真相と跡地の全貌
【検証資料 3】目黒競馬場はなぜ消えた?日本ダービー発祥の地が府中に移転した真相と跡地の全貌(出典:asset.bengo4.com)

【目黒競馬場】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:目黒競馬場の正確な場所は、現在の地図でいうとどこにあたりますか?
A1:現在の東京都目黒区下目黒四丁目から五丁目付近一帯にあたります。目黒通りを挟んだ北側と南側にまたがり、スタンドは目黒通り沿い、南側の住宅街一帯に1周1マイルのコースが広がっていました。目黒駅、東急目黒線不動前駅、東急東横線祐天寺駅のちょうど中間に位置します。

Q2:第1回日本ダービーが開催されたのはいつですか?
A2:1932年(昭和7年)4月24日です。「東京優駿大競走」という名称で開催され、ワカタカが優勝しました。翌1933年の秋に東京競馬場(府中市)が完成したため、目黒競馬場で開催された日本ダービーはこの第1回大会のみとなっています。

Q3:競馬場跡地を観光・見学する際のおすすめスポットはありますか?
A3:目黒通りの「元競馬場前」バス停から元競馬場通りに入り、下目黒四丁目に設置されている「トウルヌソル像」と記念碑を見学するのが定番です。また、スマートフォンの地図アプリ等で航空写真を表示しながら、緩やかなカーブを描く住宅街の路地(コース外周跡)を実際に歩いてみることで、当時の馬場のスケール感を体感できます。

まとめ:住宅街に息づく日本近代競馬の礎

近代日本の急速な発展とともに生まれ、東京の都市化という歴史の波に乗って府中へとバトンを渡した目黒競馬場。その活動期間は26年間と決して長くはありませんでしたが、日本ダービーの創設をはじめ、競馬文化の基礎を築き上げた功績は計り知れません。

今なお下目黒の街並みに残る「元競馬場前」の看板やトウルヌソル像、そして緩やかなカーブを描く生活道路は、先人たちが駆け抜けた情熱の軌跡です。目黒や不動前を訪れる際は、ぜひその足元に眠る壮大な歴史ロマンに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。 (出典: 目黒 競馬 場(Yahoo!ニュース))

目黒競馬場はなぜ消えた?日本ダービー発祥の地が府中に移転した真相と跡地の全貌
目黒競馬場はなぜ消えた?日本ダービー発祥の地が府中に移転した真相と跡地の全貌
目黒競馬場はなぜ消えた?日本ダービー発祥の地が府中に移転した真相と跡地の全貌