高天神城跡の見どころ完全攻略!武田勝頼と徳川家康の攻防・遺構・アクセスを徹底解説
静岡県掛川市にある高天神城跡は、武田勝頼と徳川家康が遠江の覇権を懸けて争った、戦国時代を代表する山城の一つです。1574年に武田勝頼が攻略し、1581年には徳川家康が奪還。二度にわたる攻城戦は、武田氏の勢力衰退と徳川氏の遠江支配を考えるうえで欠かせない歴史的事件となりました。
現在の城跡には、本丸や曲輪の跡に加え、空堀・堀切・土塁などの防御遺構が残されています。高天神社や馬場平の展望台も見どころで、戦国史の現場を歩きながら自然や眺望を楽しめるのが魅力です。掛川市公式観光サイトが案内する約4kmのハイキングコース、掛川駅からのバスアクセス、駐車場、所要時間、続日本100名城のスタンプ情報まで、2026年の訪問計画に役立つ情報をまとめました。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 歴史:1574年に武田勝頼が攻略し、1581年に徳川家康方が奪還した、遠江の戦略上重要な山城。
- 見どころ:空堀・堀切・土塁などの中世城郭遺構、高天神社、馬場平の展望台を巡れる。
- アクセス:JR掛川駅からバスで約25分、「土方」バス停から追手門入口まで徒歩約15分。公式ハイキングコースは約4km。
- 訪問準備:南側の追手門駐車場と北側の搦手門駐車場があり、続日本100名城のスタンプは大東北公民館などで押印できる。
【歴史と戦いの経緯】高天神城を巡る1574年・1581年の攻城戦
高天神城跡を理解するうえで最初に押さえたいのは、なぜこの山城が武田氏と徳川氏の双方にとって重要だったのか、そして二度の戦いで何が変わったのかという点です。
高天神城は、静岡県掛川市の鶴翁山に築かれた山城です。標高は約130〜132m。小笠山から南東へ延びる尾根の先端に位置し、周辺の地形を防御に利用していました。三方が急崖に囲まれ、尾根続きの方面にも防御を施せる立地は、城を攻め落とす側にとって大きな障壁でした。
遠江は、東の駿河方面と西の三河方面を結ぶ地域です。武田氏と徳川氏が勢力を拡大するなか、高天神城は単なる山上の拠点ではなく、周辺地域の支配や軍事行動を左右する戦略拠点になりました。「高天神を制するものは遠州を制す」と伝えられるのも、こうした地理的な重要性を反映しています。
1574年、武田勝頼が難攻の城を攻略
掛川市の公式歴史解説によると、1574年(天正2年)5月、武田勝頼は大軍を率いて高天神城を包囲しました。城兵が立てこもる城郭に対して攻撃を続け、長期の兵糧攻めを経て、同年6月に城を開かせます。
この勝利によって、武田氏は遠江における軍事的な足場を確保しました。高天神城は、かつて武田信玄も攻略できなかった城として知られ、勝頼の攻城戦は武田氏の軍事力を示す出来事でもありました。
ただし、城を手に入れることと、周辺地域を長期的に支配することは別問題です。徳川家康は高天神城の奪還を目指し、周辺に拠点を整備して武田方への圧力を強めていきました。
1581年、徳川家康方の包囲と落城
1575年の長篠の戦いで織田・徳川連合軍に敗れた武田氏は、その後、勢力の立て直しを迫られます。高天神城を巡る状況も次第に厳しくなり、徳川方は周辺の砦などを活用しながら包囲網を強化しました。
掛川市の歴史資料によれば、1580年には徳川方が包囲のための砦を築き、武田勝頼は高天神城への後詰、つまり援軍を送らない方針を決めたとされます。城内の兵にとって、補給と援軍を期待しにくい状況が深刻化していきました。
そして1581年(天正9年)3月、織田信長の支援を得た徳川家康方が包囲攻撃を進めます。同月22日には城兵が討って出る戦いが起こり、城主岡部元信らを含む多くの城兵が戦死。高天神城は落城し、廃城となりました。
二度の攻城戦が示すのは、山城の強固な防御だけでは戦いに勝ち続けられないという現実です。1574年には武田勝頼が兵力と攻城戦によって城を攻略しましたが、1581年には徳川方の包囲と補給遮断が城の命運を左右しました。高天神城は、戦国時代の攻城戦が地形・兵力・兵站の組み合わせで決まることを伝える史跡です。

【年表で整理】高天神城の戦いと歴史を一目で確認
高天神城の歴史を追う際は、1574年の武田方による攻略と、1581年の徳川方による奪還を分けて理解することが大切です。両者の間には約7年の時間があり、その間に周辺の軍事情勢や補給条件が変化しました。
| 時期 | 主な出来事 | 歴史的な意味 |
|---|---|---|
| 室町時代 | 今川氏の勢力圏に属する山城として機能 | 遠江の地域支配を支える拠点となる |
| 1560年代 | 徳川家康の勢力拡大に伴い、徳川方の城となる | 武田氏との対立が深まる |
| 1571年 | 武田信玄が攻めたものの、攻略できなかったと伝えられる | 城の防御力と地形上の強みを示す |
| 1574年6月 | 武田勝頼が包囲攻撃を進め、城を開かせる | 武田方が高天神城を確保 |
| 1578年以降 | 徳川家康が奪還を目指し、横須賀城など周辺拠点を整備 | 徳川方による包囲・監視体制が強化される |
| 1581年3月22日 | 徳川方の包囲攻撃のなかで城兵が討って出て、城が落ちる | 高天神城は廃城となり、武田氏の遠江支配も後退する |
| 1975年10月16日 | 国の史跡に指定 | 歴史的価値を持つ城跡として保護される |
| 2017年4月6日 | 「続日本100名城」に選定 | 城郭巡りや歴史散策の目的地としても知られる |
表のうち、戦国期の経緯は掛川市の歴史解説や文化庁の国指定文化財等データベースに基づくものです。国の史跡指定日は1975年10月16日で、2007年には追加指定も行われています。
なお、築城年代には諸説があります。掛川市の解説では、詳細な築城時期は不明とされる一方、今川氏との関係や15世紀初頭の築城伝承も紹介されています。特定の年を確定的な築城年として扱うよりも、中世から戦国期にかけて発展した山城として理解するのが適切です。
【現在の遺構と見どころ】空堀・堀切・土塁から山城の仕組みを読む
高天神城跡の魅力は、天守や石垣が目立つ近世城郭とは異なり、山の地形そのものと土の防御施設を観察できることです。現在も本丸跡など主要な曲輪の跡や空堀が残り、戦国期の山城の構造を考える手がかりになります。
1.空堀・堀切・土塁――防御の工夫が残る西峰
高天神城は、中央付近の井戸曲輪を挟んで東峰と西峰に曲輪群が展開する構造を持ちます。二つの峰がそれぞれ独立した城のように機能する構成は、「一城別郭」と呼ばれます。
掛川市が公開する史跡解説資料では、東峰は山の地形を活用した構造が特徴である一方、西峰には土塁・堀切・横堀などの防御遺構がよく残ると説明されています。とくに西側からの攻撃に備え、堀や土塁を組み合わせて守りを固めていた点が重要です。
- 空堀:水を張らずに掘った溝状の防御施設。敵の移動を妨げ、進入経路を制限する役割を持ちます。
- 堀切:尾根を横断するように掘り、尾根伝いに進む敵を遮る施設です。
- 土塁:土を盛り上げて築いた防御施設。内側の兵を守り、敵に対して高い位置を確保する働きがあります。
- 横堀:斜面に沿うように設けられた堀で、曲輪への接近を妨げるために使われます。
これらは単に古い溝や土の盛り上がりではありません。攻め手が通れる場所を限定し、守り手が有利な位置から対応するための軍事施設です。遺構を見学する際は、個々の形だけでなく、尾根や斜面とどのように組み合わさっているかに注目すると、山城の設計思想が見えてきます。
2.本丸跡・曲輪跡――城の中心と生活空間
本丸跡は、高天神城を訪れたら押さえておきたい主要スポットです。ただし、現在は当時の建物がそのまま残っているわけではなく、曲輪の地形や発掘調査によって確認された痕跡から、かつての姿を想像する場所となっています。
掛川市の発掘調査関連資料では、本丸や二の丸などから建物跡が確認され、かわらけや陶磁器類なども出土したことが紹介されています。城は戦闘のためだけの場所ではなく、食事や生活、物資の保管などを担う空間でもありました。
戦国時代の城跡というと、武将の戦いや合戦の場面に目が向きがちです。しかし、長期間の籠城を考えるなら、城内に人が暮らし、食料や水を確保し、日常生活を維持していたという視点も欠かせません。
3.高天神社――城跡に残る信仰の場
高天神社も見逃せない見どころです。高天神城跡は戦いの舞台であると同時に、後世の人々が歴史を伝え、祈りを捧げてきた場所でもあります。掛川市の歴史資料によれば、高天神社は1724年に西峰の西の丸へ遷宮されたとされています。
城跡を歩くと、軍事施設の痕跡だけでなく、山の地形と信仰が結びついた歴史にも触れられます。参拝する場合は、境内や参道でのマナーを守り、城跡の文化財としての価値にも配慮しましょう。
4.馬場平の展望台――地形と眺望を楽しむ
馬場平は、城跡散策のなかで眺望を楽しめるスポットとして知られています。高天神城が周囲を見渡せる位置に築かれたことを、実際の地形を通して考えるのに適した場所です。
高天神城の立地は、遠江の平野部や周辺の交通を意識した軍事拠点としての性格と結びついています。展望台では、景色を眺めるだけでなく、「なぜこの場所が城として選ばれたのか」という問いを持つと、歴史散策が一段と深まります。
なお、山道や各地点への通行状況は、天候や整備工事などで変わる場合があります。馬場平までの道を含め、現地の案内表示に従い、安全を優先してください。

【アクセス・ハイキングコース】掛川駅から約4kmの城跡散策へ
高天神城跡は、JR掛川駅からバスまたは車で訪問できます。公共交通機関を利用する場合は、駅から城跡の入口まで直接乗り入れるのではなく、バス停から徒歩で登城口へ向かう点を押さえておきましょう。
バスでのアクセス
掛川市公式観光サイトと高天神城の公式案内では、JR掛川駅北口3番乗り場から、しずてつジャストラインの掛川大東浜岡線を利用し、「土方」バス停で下車するルートが案内されています。バスの所要時間は約25分で、追手門入口までは徒歩約15分が目安です。
公式ハイキングマップには、土方バス停から追手門入口、高天神城跡、林の谷池、松本亀次郎公園、高天神入口を経由して掛川駅方面へ戻る、約4kmのコースが掲載されています。城跡の見学だけでなく、周辺の自然や地域の景観も楽しめる周遊ルートです。
バスの運行本数や時刻は曜日・時期によって異なる場合があります。訪問当日の時刻表を確認し、帰りのバスに間に合うよう計画を立ててください。途中の見学時間を多めに取る場合は、往路と復路のバス時刻を先に決めておくと安心です。
車でのアクセスと南口・北口の駐車場
車の場合は、東名高速道路の掛川ICから約15分が目安です。高天神城跡には、南側の追手門駐車場と北側の搦手門駐車場があり、どちらも無料で利用できます。
- 南口・追手門駐車場:約10台。追手門側から登城したい場合に便利です。
- 北口・搦手門駐車場:約100台。南口より駐車台数が多く、大型バスにも対応しています。
駐車台数は高天神城の公式案内に掲載されている目安です。休日や観光シーズンの混雑状況によっては、現地での駐車に時間がかかる可能性があります。駐車場を選ぶ際は、収容台数だけでなく、どの入口から登城したいかも考慮しましょう。
約4kmのハイキングコースはどんな内容?
掛川市公式の約4kmコースは、JR掛川駅からバスで土方へ向かい、追手門入口から城跡を巡った後、林の谷池や松本亀次郎公園を経て高天神入口へ向かうルートです。城跡の遺構だけでなく、周辺の景観を含めて歩きたい人に向いています。
一方、城跡内の散策では石段や傾斜のある山道を歩きます。高天神城は標高130m前後の山城ですが、標高が低いからといって平坦な観光地と同じ感覚で歩けるわけではありません。急な階段や足元の不安定な箇所もあるため、歩きやすい靴を選び、時間に余裕を持って行動してください。
【所要時間・難易度・スタンプ】訪問前に押さえたい実用情報
所要時間の目安
高天神城跡の見学時間は、どこまで歩くかによって変わります。城跡の主要スポットを中心に巡る場合は1〜2時間程度を目安にすると計画しやすく、公式の約4kmハイキングコースを歩く場合は、バスの待ち時間や休憩を含めて余裕を持った半日計画がおすすめです。
短時間で訪問したい場合は、入口から本丸跡など主要な遺構を中心に巡る方法があります。反対に、空堀や堀切をじっくり観察し、高天神社や馬場平にも立ち寄りたい場合は、見学時間を長めに確保しましょう。山道の状況や個人の歩行速度によって所要時間は変わります。
登山難易度は初心者でも歩けるレベル?
高天神城跡は本格的な高山登山を必要とする場所ではありませんが、石段や傾斜のある山道を歩くため、一定の体力と注意が必要です。普段あまり歩かない人や小さな子ども連れの場合は、無理に全ルートを巡らず、歩ける範囲で見学する計画が現実的です。
- スニーカーやトレッキングシューズなど、滑りにくい靴を用意する。
- 飲料水を持参し、暑い時期は熱中症や虫への対策を行う。
- 雨天や雨上がりは、落ち葉や石段が滑りやすくなることを想定する。
- 夕刻の登城は避け、明るいうちに下山できる時間配分にする。
- 通行止めや整備工事の案内がある場合は、迂回や計画変更を優先する。
高天神城の公式案内でも、石段や山道に対応できる服装・運動靴が推奨され、夕刻や雨天時は転落や道迷いへの注意が呼びかけられています。観光気分で歩き始める場合でも、最低限のハイキング装備を整えておきましょう。
大東北公民館で続日本100名城のスタンプを押す
高天神城跡は、2017年4月6日に「続日本100名城」に選定されています。城跡巡りを目的に訪れる人にとって、スタンプラリーも楽しみの一つです。
掛川市の公式案内によると、スタンプの常設場所の一つは大東北公民館です。1階事務室前のカウンターに設置され、利用時間は午前9時から午後5時まで。月曜日と年末年始(12月28日〜1月4日)は休館となるため、訪問日には注意が必要です。
大東北公民館が休館の場合は、掛川観光協会ビジターセンター「旅のスイッチ」や掛川南部観光案内処でも押印できます。ただし、各施設で営業時間や休館日が異なります。年末年始などの特別な期間は対応が変更されることもあるため、掛川市の最新案内で確認してから出発しましょう。
また、城跡の近くで資料やパンフレットを探している場合にも、大東北公民館は立ち寄り先の候補になります。現地を歩く前に城の歴史や曲輪の配置を把握しておくと、遺構の見方がより具体的になります。

【高天神城跡】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:高天神城跡は何県のどこにありますか?
A1:静岡県掛川市上土方嶺向にあります。JR掛川駅からバスで約25分、「土方」バス停から追手門入口まで徒歩約15分が目安です。車の場合は東名掛川ICから約15分で、南口と北口に無料駐車場があります。
Q2:高天神城跡の見学には何時間必要ですか?
A2:主要な城跡を巡る場合は1〜2時間程度を目安にすると計画しやすいでしょう。公式の約4kmハイキングコースを歩き、周辺の景観も楽しむ場合は、バスの待ち時間や休憩を含めて余裕を持った半日計画がおすすめです。歩行速度や立ち寄る場所によって時間は変わります。
Q3:高天神城跡は初心者でも登れますか?
A3:本格的な高山登山ではありませんが、石段や傾斜のある山道があります。滑りにくい靴を履き、飲料水を持参し、雨天や夕刻の登城を避けるなどの準備が必要です。体力に不安がある場合は、主要スポットを中心に無理のない範囲で散策しましょう。
Q4:高天神城跡のスタンプはどこで押せますか?
A4:続日本100名城のスタンプは、大東北公民館のほか、掛川観光協会ビジターセンター「旅のスイッチ」、掛川南部観光案内処などで押印できます。施設ごとに営業時間と休館日が異なるため、訪問前に掛川市の公式案内を確認してください。
Q5:高天神城跡で特に見るべき遺構は何ですか?
A5:本丸跡などの曲輪跡に加え、空堀・堀切・土塁・横堀などが見どころです。特に西峰では土の防御施設の構造を観察でき、高天神社や馬場平の展望台も散策先としておすすめです。地形と防御施設の組み合わせに注目すると、山城の特徴を理解しやすくなります。
まとめ:【プロの結論】高天神城跡は地形と遺構をセットで見ると面白い
高天神城跡は、1574年に武田勝頼が攻略し、1581年に徳川家康方が奪還した歴史を持つ、遠江の重要な山城です。二度の攻城戦を通じて見えてくるのは、堅固な地形だけでなく、兵糧や援軍、周辺拠点の確保が城の命運を左右したという戦国時代の現実です。
現地では、本丸跡や曲輪跡を巡るだけでなく、空堀・堀切・土塁の配置を観察し、山の地形がどのように防御に利用されたかを考えると、城跡の魅力が深まります。高天神社や馬場平の展望台にも足を延ばせば、歴史・信仰・自然をまとめて楽しめます。
訪問計画では、掛川駅からのバス時刻、約4kmのハイキングコース、南北の駐車場、スタンプ設置施設の営業日を事前に確認することが大切です。短時間の歴史散策を希望する人にも、遺構をじっくり巡りたい城郭ファンにも、それぞれの歩き方があります。
高天神城跡は、天守の姿を眺める城ではなく、地形や土の防御施設から戦国時代の戦いを読み解く城です。武田勝頼と徳川家康が争った理由を頭に入れてから現地を歩けば、目の前の堀や尾根、曲輪の一つひとつが、かつての攻防を伝える歴史の手がかりになります。 (出典: 高 天神 城跡(Yahoo!ニュース))