譲位とは?退位との違い・645年の歴史と2019年の代替わり、2026年最新制度を徹底解説
「譲位(じょうい)」とは、天皇が在位中に皇位を後継者へ譲ることです。日本の歴史では、645年に皇極天皇が孝徳天皇へ皇位を譲った出来事を契機として、譲位が次第に慣例化しました。しかし、明治時代に皇室典範が制定されると、皇位継承は天皇の崩御を基本とする制度へ変化します。その後、2019年4月30日には上皇明仁が退位し、翌5月1日に徳仁天皇が即位。平成から令和への代替わりが実現しました。
2026年現在、譲位の歴史を理解するうえで押さえておきたいのは、歴史用語としての「譲位」と、現行法令で使われる「退位」の違いです。さらに、2026年7月に公布された皇室典範等の改正法も、皇室制度を考えるうえで新たな動きとなっています。645年の皇極天皇から現代の皇位継承制度まで、歴史的背景と法律の両面から整理します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:譲位は天皇が皇位を後継者へ譲ること。退位と意味が重なる部分は多いものの、譲位は皇位の継承に重点を置く表現です。
- 要点2:645年の皇極天皇から孝徳天皇への譲位を起点に、譲位は日本の皇位継承の歴史で重要な役割を果たしてきました。
- 要点3:2019年の上皇明仁の退位は特例法によって実現しました。2026年現在も、天皇の退位を一般的に認める制度と、皇室の構成を見直す制度改正は区別して理解する必要があります。
【基礎知識】譲位とは?読み方・意味と退位との違いをわかりやすく解説
譲位の読み方は「じょうい」です。主に、天皇が自らの在位を終え、皇位を次の天皇へ引き継ぐことを指します。歴史上は、後継者への皇位継承を明確にする行為として、政治や皇室制度と深く結びついてきました。
譲位という言葉は、皇位を譲る側の行為だけでなく、後継者がその皇位を受け継ぐという一連の流れを意識させる表現です。一方、退位は、天皇や国王などがその地位を退くことを意味します。両者は対立する概念ではなく、同じ出来事を異なる視点から表現する場合があります。
譲位と退位の違いを比較
両者の違いを理解するには、言葉がどこに重点を置いているかを見るとわかりやすくなります。
- 譲位:皇位を後継者に譲り、皇位継承を実現する側面を強調する表現。
- 退位:在位している天皇が、その地位から退く行為を強調する表現。
- 即位:皇位を受け継いだ人物が、新たに天皇の位に就くこと。
- 譲国:譲位と同様に皇位を譲る意味で使われてきた歴史的な表現。
注意したいのは、「譲位なら必ず後継者が決まっており、退位なら後継者がいない」という区別は、厳密な法律上の定義ではないことです。退位という言葉も、皇嗣の即位を伴う2019年の代替わりに用いられています。
実際、2019年の上皇明仁の退位について、法律の正式名称は「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」です。政府や宮内庁の公式資料でも「退位」という表現が採用されました。歴史を説明するときには「譲位」、現代の法制度や2019年の出来事を説明するときには「退位」という言葉がよく使われます。
また、譲位と譲国も、一般的には近い意味を持ちます。歴史上の儀礼には「譲国儀」という名称もありましたが、現代の皇位継承において、譲位と譲国を別個の制度として扱うわけではありません。

【645年の歴史】皇極天皇から孝徳天皇への譲位はなぜ起きたのか
日本の譲位の歴史を理解するうえで、重要な節目となるのが645年の皇極天皇から孝徳天皇への皇位継承です。コトバンク掲載の百科事典類や日本古代史の解説では、この出来事が譲位の慣例化を考える際の起点として取り上げられています。
乙巳の変と皇位継承
645年、当時の有力豪族であった蘇我氏をめぐる政治的対立が大きな転換点を迎えました。中大兄皇子らが蘇我入鹿を討ち、父の蘇我蝦夷も自害した一連の事件は、現在「乙巳の変」と呼ばれています。この事件の後、皇極天皇は皇位を譲り、軽皇子が孝徳天皇として即位しました。
兵庫大学の日本古代史に関する講座解説でも、『日本書紀』の記述を踏まえ、乙巳の変と皇極天皇の譲位、孝徳天皇の即位が一連の政治的転換として説明されています。
ここで注目したいのは、皇極天皇の子である中大兄皇子が、この時点ですぐに天皇になったわけではないことです。皇位を継いだのは軽皇子、すなわち孝徳天皇でした。皇位継承は単純な親子間の交代だけで決まるものではなく、当時の皇族間の関係や政治情勢とも密接に関係していたのです。
ただし、皇極天皇の譲位を乙巳の変だけで説明することはできません。古代の皇位継承には、皇族間の政治的な力関係や有力氏族との関係など、複数の要素が絡んでいました。645年の出来事は、政治体制の転換と皇位継承が重なった事例として理解する必要があります。
皇極天皇はなぜ再び天皇になったのか
孝徳天皇の死後、655年には皇極天皇が再び即位し、斉明天皇となりました。同じ人物が再び皇位に就くことを「重祚(ちょうそ)」といいます。
この経緯は、譲位と皇位継承が必ずしも一方向の世代交代だけを意味していなかったことを示しています。皇位を譲った人物が、その後の政治状況によって再び即位する場合もあったのです。
譲位が慣例化した背景
譲位が広まった背景には、後継者をあらかじめ即位させ、皇位継承を円滑に進めるという側面がありました。天皇が崩御するまで皇位を継がない仕組みだけでは、後継者への移行時期を柔軟に調整できません。譲位は、次の天皇へ権限や儀礼を引き継ぐ機会にもなりました。
一方、譲位後の天皇が政治に関与し続ける場合もありました。平安時代に発展した院政は、その代表例です。譲位によって新天皇が即位しても、前の天皇が政治的な影響力を保つことがあり、皇位継承と実際の政治権力が必ずしも一致しない状況も生まれました。
【歴代天皇の譲位一覧】645年から江戸時代、2019年までの主な経緯
日本の歴史では、645年以降、譲位や譲位を受けての即位が繰り返されてきました。譲位の理由は時代によって異なり、後継者への移行、政治的な判断、上皇としての影響力の維持など、さまざまな事情が関係しています。
コトバンク掲載の「世界大百科事典」には、明治天皇までの皇位継承について、87代中56代が譲位・受禅によって皇位に就いたとする集計があります。これは譲位を受けて即位した側を含む整理であり、譲位した天皇の人数と同じ意味ではありません。歴代の数え方や北朝の扱いなどによって集計は変わるため、数字を比較する際は基準を確認する必要があります。
以下は、譲位の歴史を理解するための代表的な出来事です。すべての譲位を網羅した一覧ではありませんが、古代から近現代への制度変化をたどることができます。
| 時期 | 天皇・皇位継承 | 歴史的な意味 |
|---|---|---|
| 645年 | 皇極天皇から孝徳天皇へ | 乙巳の変後の皇位継承。譲位の歴史を考える重要な起点。 |
| 697年 | 持統天皇から文武天皇へ | 皇族間で皇位を継承し、譲位が定着していく過程の一例。 |
| 749年 | 聖武天皇から孝謙天皇へ | 女性天皇への譲位の事例。その後、孝謙天皇は称徳天皇として再び即位。 |
| 1086年 | 白河天皇から堀河天皇へ | 譲位後も前天皇が政治的影響力を持つ院政の始まりを考えるうえで重要。 |
| 1464年 | 後花園天皇から後土御門天皇へ | 室町時代の譲位の事例。 |
| 1817年 | 光格天皇から仁孝天皇へ | 2019年の退位より前に行われた、江戸時代最後の天皇の譲位。 |
| 2019年 | 上皇明仁の退位、徳仁天皇の即位 | 特例法に基づき、約200年ぶりに実現した近現代の天皇の退位。 |
譲位の理由は一つではない
歴代天皇の譲位には、後継者へ皇位を引き継ぐという共通点がある一方、個別の事情は異なります。高齢や健康上の問題だけでなく、皇族間の政治的な関係、後継者の即位時期、退位後の政治的立場などが影響した例もあります。
特に白河天皇の譲位は、院政の歴史と深く関係しています。1086年に堀河天皇へ皇位を譲った白河上皇は、退位後も政治的な影響力を保持しました。これは、譲位によって新しい天皇が即位することと、前天皇が政治から完全に退くことが同じではなかったことを示す事例です。
もっとも、院政が行われたすべての時代に、前天皇が同じ程度の権力を持っていたわけではありません。上皇の政治的影響力は、その人物の立場や当時の政治状況によって変わりました。

【明治の皇室典範】なぜ天皇の譲位は原則として認められなくなったのか
長い歴史の中で慣例化していた譲位は、明治時代に大きな制度変更を迎えます。1889年2月11日、大日本帝国憲法とともに旧皇室典範が制定され、皇位継承や即位に関する規定が整備されました。
宮内庁の資料解説によると、旧皇室典範では、天皇の崩御により皇嗣が践祚し、皇位を継承する仕組みが規定されました。歴史上行われてきた譲位を一般的な制度として認める仕組みは設けられず、皇位継承は天皇の崩御を基本とする制度へ移行したのです。
制度変更の背景にあった「二重権威」への懸念
譲位後も前天皇が政治的な影響力を保つと、在位する天皇と上皇の双方に権威が生じる可能性があります。歴史上の院政が示すように、皇位を継いだ人物と政治を主導する人物が異なる状況も起こり得ました。
近代国家の制度を整える過程では、皇位継承の基準を明確にし、国家の統治と皇室の権威を安定させることが課題となりました。譲位を一般的な制度として設けなかった背景には、こうした権威の二重化への懸念がありました。
戦後の1947年に施行された現行の皇室典範も、通常の皇位継承については第4条で「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」と定めています。天皇が自ら退位する場合の一般的な手続きは、この条文には規定されていません。
なお、「皇室典範に退位の一般的な規定がない」ということと、「退位が法律上、永久に認められない」ということは同じではありません。2019年の退位は、現行の皇室典範第4条の特例として制定された法律によって実現しました。この点が、近代以降の制度を理解するうえで重要です。
【2019年の代替わり】上皇明仁の退位と平成から令和への皇位継承
2019年の代替わりは、歴史的な譲位の慣例と近代以降の法制度が交差した出来事です。江戸時代後期の光格天皇が1817年に譲位して以来、約200年ぶりに天皇の退位が実現しました。
2016年のメッセージから特例法の制定へ
2016年8月、当時の天皇陛下であった明仁さまは、ビデオメッセージを通じて、象徴としての務めについて自身の考えを示されました。高齢になっても公的な活動を続けることへの懸念などが広く議論され、政府と国会は退位を実現するための制度を検討しました。
2017年6月には「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」が公布されました。同法の第1条は、長年にわたる公的活動、高齢に伴う懸念、皇嗣による公務への対応などを踏まえ、天皇の退位と皇嗣の即位を実現することを目的として定めています。
この法律は、皇室典範に恒久的な退位制度を新設するものではなく、当時の天皇の退位を実現するための特例措置でした。退位後の地位を「上皇」とすることなども法律で定められました。
2019年4月30日と5月1日に何が起きたのか
宮内庁の関係年表によると、2019年4月30日に退位礼正殿の儀が行われ、天皇陛下は同日限りで退位されました。翌5月1日には皇太子徳仁親王が即位し、元号が平成から令和へと改まりました。
新天皇の即位に伴って剣璽等承継の儀などが行われ、同年10月22日には即位礼正殿の儀が執り行われました。4月30日の退位、5月1日の即位、10月の即位礼は、それぞれ異なる意味を持つ一連の儀式です。
この代替わりで重要なのは、上皇明仁が皇位を離れたことと、徳仁天皇が新たに皇位を継承したことが、法律に基づいて明確に区別された点です。歴史的な文脈では「譲位」と説明されることがあっても、法的な手続きは「退位」と「即位」として整理されています。

【2026年最新】譲位制度の現在と皇室典範の改正を整理
2026年10月22日現在、天皇の退位について理解する際には、現行の皇室典範と、2019年の退位に関する特例法を区別する必要があります。現行の皇室典範第4条は、通常の皇位継承について、天皇の崩御時に皇嗣が直ちに即位することを定めています。
2019年の退位を実現した特例法は、上皇明仁の退位と皇嗣の即位に対応するための特別な措置です。したがって、2019年に退位が実現したことだけを理由に、将来の天皇も同じ手続きで自由に退位できる一般制度が整備されたと考えるのは正確ではありません。
2026年7月公布の皇室典範等改正法とは
2026年には、皇室制度に関する別の重要な法改正も行われました。内閣官房の公表資料によると、「皇室典範等の一部を改正する法律」(令和8年法律第66号)は、2026年7月24日に公布され、同年10月24日に施行される予定です。10月22日時点では、公布済みで施行前に当たります。
この改正の主な目的は、皇族数の減少に対応し、皇室の活動を支える皇族数を確保することです。改正内容には、内親王や女王が皇族以外の男性と結婚した場合にも皇族の身分を維持できる仕組みや、一定の条件を満たす男系男子を養子として皇族に迎える仕組みが含まれています。
養子によって皇族となった男子には皇位継承資格を認めないことも、改正法に盛り込まれています。これらは皇族数の確保に関する措置であり、天皇の退位を一般的に認める制度を新設するものではありません。
皇位継承の仕組みはどうなっているのか
皇位継承の資格や順序は、憲法と皇室典範に基づいて定められています。宮内庁の「皇位継承」に関する説明では、現行の皇室典範第1条・第2条に従い、皇位は皇統に属する男系の男子たる皇族が継承し、法律に定められた順序によって伝えられるとされています。
皇位継承の制度と退位の制度は、密接に関係しているものの、同じ問題ではありません。前者は誰がどの順序で皇位を継ぐのかを定めるものであり、後者は在位する天皇がどのような条件や手続きで退位できるのかという問題です。
2026年の改正法による皇族数確保の措置と、2019年に実現した退位の特例措置は、目的も法的な位置づけも異なります。皇室制度の最新情報を確認するときは、改正法の公布日・施行日だけでなく、どの制度を対象とした改正なのかを見極めることが大切です。
【譲位とは】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:譲位とは簡単にいうと、どのような意味ですか?
A1:天皇が在位中に皇位を後継者へ譲ることです。後継者が皇位を受け継いで即位する流れに重点を置いた表現で、歴史上の皇位継承を説明するときによく使われます。
Q2:譲位と退位は、何が違うのですか?
A2:譲位は皇位を後継者へ譲る側面、退位は在位する地位から退く側面を強調する言葉です。意味が重なる場合も多く、必ずしも相反する概念ではありません。2019年の上皇明仁の退位では、法律上「退位」という表現が使われました。
Q3:645年に皇極天皇が譲位したのはなぜですか?
A3:645年の乙巳の変によって政治情勢が大きく変わる中、皇極天皇は孝徳天皇へ皇位を譲りました。ただし、その背景は一つの理由だけで説明できるものではなく、皇族間の関係や当時の政治体制の変化も関係していました。
Q4:2026年現在、天皇は自由に譲位できますか?
A4:天皇の退位を一般的に認める制度が整備されているわけではありません。2019年の退位は、上皇明仁の退位を実現するための特例法に基づくものでした。皇室典範の改正に関する最新情報を確認する際は、退位制度と皇族数確保などの別の制度改正を区別する必要があります。
Q5:譲位と譲国は同じ意味ですか?
A5:どちらも皇位を譲る意味で使われてきた言葉です。歴史上は「譲国儀」という儀礼名もありましたが、現代の皇位継承において、譲位と譲国を別の制度として区別するわけではありません。
まとめ:【プロの結論】譲位の歴史を理解するための3つの視点
譲位とは、天皇が在位中に皇位を後継者へ譲ることです。645年の皇極天皇から孝徳天皇への譲位をはじめ、日本の歴史では皇位継承の方法として長く行われてきました。一方、1889年の旧皇室典範制定以降は、天皇の崩御を基本とする皇位継承制度が整えられ、退位を一般的に認める仕組みは設けられませんでした。
2019年の上皇明仁の退位は、約200年ぶりに実現した近現代の天皇の退位です。特例法によって退位と即位の手続きが定められ、平成から令和への代替わりが行われました。2026年の皇室典範等改正法も、皇室制度の変化を考えるうえで重要ですが、皇族数確保のための措置と、天皇の退位制度は別の論点です。
譲位の歴史を正しく理解するための視点は、次の3つです。
- 言葉の違い:譲位は皇位継承、退位は在位を終える行為に重点を置く。ただし、両者は意味が重なることがある。
- 歴史の連続性:645年から江戸時代までの譲位と、明治以降の制度変更、2019年の特例による退位を一続きの歴史として捉える。
- 現行制度の確認:皇位継承の順位、天皇の退位、皇族数の確保はそれぞれ異なる制度上の問題として整理する。
譲位は、単に天皇が地位を譲るという出来事ではありません。皇位継承の安定、政治的な権威のあり方、皇室制度と法律の関係が表れる歴史的な仕組みです。2019年の退位と2026年の制度改正を理解する際にも、歴史上の慣例と現行法令を分けて考えることが、皇位継承の全体像を把握するための重要な手がかりになります。 (出典: 譲位 と は(Yahoo!ニュース))